朋也が中華料理屋に戻ると、テーブルいたのは曽我だけだった。
「あれ、キムは?」
「終電だと言って帰りやがった」
「あらら」
がっかりしながらも、木村らしいとも思って、朋也は席に着く。
とかく自分のペースは崩さない奴なのだ。
周囲に振り回されがちな、朋也や曽我とは正反対の性格なのかもしれない。
「でも、その代わりこれをゲットした」
曽我はジャジャーンと木村のノートパソコンを出してにんまりと笑う。
「え、マジで!?」
あれだけ木村が拒否していたのに、どう言い含めたのか、朋也はとても信じられ
なかった。
「まぁ色々あってな。あいつの言葉を借りれば因果応報ってやつだ」
曽我はフフフと笑う。
その後は喫茶店に移動して、結局朝まで二人の作戦会議は続いた。
駅の構内で、智佐は人目もはばからずに歌い出す。
「もうすぐ18でしょ……チーちゃん」
朋也は智佐に肩を貸しながら、人知れずげんなりした気持ちを抱いた。
傍若無人ぶりは言うまでもないが、何より智佐の呼気が酒臭かったのが嫌だった。
そして16にしろ18にしろ、未成年の飲酒など彼には問題外だった。
「あ、そう明日の夕食会のことなんだけど」
朋也は本題を思い出して、切り出す。
「お父さんは来るって言ってたけど、チーちゃんのお母さんも一緒なのかな?」
機嫌も良さそうだったし、それとなく聞いてみることにした。
「……来るんじゃないの? 知らない。あんな人、チサのおかーさんなんかじゃな
いし」
「いや、お母さんでしょ……。義理かもしれないけど」
「違う、パパが再婚した人ってだけ。チサには全く関係ないんだから、そういう
言い方しないで」
「あ、うん……ごめん」
朋也はここは引くべきところと悟り、謝る。
やはり母親の話題は智佐には禁句なようだ。
「あー先生が変な話するから酔いも覚めちゃったよ。そうだ、飲み直そっか?」
智佐が二パッと笑って言う。
「いやいや」
智佐は朋也が支えてないと、フラフラで立っていられない状態である。
「もう一回、カラオケ行っちゃう? 行っちゃう?」
「いやいや……」
とてもそんな心境でもないし、そんな状況でもない。
そして朋也は、コンビニまでお茶を買いに走ったり、二度ほど智佐が戻した時
は、彼女の背中をさすってあげたり、しばらく休ませた後、電車のホームまで彼
女を送ってあげたりと、結局有用な情報は何一つ得られなかったのだが、発車し
ていく電車を見ながら、今の自分に少し満足感さえ覚えるのであった。
もちろんそれ以上に疲労感を覚えたのは言うまでもないが。
朋也の夜はまだ長かった。
そして智佐が寝て乗り過ごしたりしないように、10分後に電話するのもちゃん
と忘れてはいなかった。
智佐の携帯電話が鳴っている。
この時間なので、智佐の家からだと思って、朋也は少し身構えた。
しかし、彼女に携帯を掛けてきたのは意外な人物だった。
「えっ曽我先生? 一体どうしたの?」
智佐も携帯で話しながら疑問顔だ。
朋也は予想外の展開に、高速で脳を回転させる。
「明日、塾に来いって? えーヤダって。明日って日曜だよ? チサにはヨージ
があるのー!」
朋也は智佐の口ぶりから、通話の内容を推測する。
おそらく曽我たちが行う妨害作戦の一環なのではないか。
「だからイーヤー。じゃあ切るからね、またね、曽我センセ。バイバーイ!」
智佐は相手に有無を言わせないまま、早口で通話を切った。
そして朋也に向かって不満そうな顔を見せる。
「全く、明日塾に来いって。テスト終わったばっかりだって言うのに、一体何で
急に授業するなんて言いだしたんだろ」
智佐は首を傾げる。
「ま、無視しとけばいっか。明日は色々と用事があるし」
あっけらかんと言う。
朋也は素早く頭を回転させ、最適と思われる言葉をひねり出す。
「いや、勉強っていうのは予習よりも復習の方が大切なんだよ。テスト直後だか
らこそ意味があるんだって、むしろすごく効果的」
「えー、そんなこと言ってもー」
智佐は不満そうに口を尖らせる。
「今回のテスト、チーちゃんすごく頑張ったんだし、どれぐらい出来ているのか
確認しに行くのもいいんじゃない? 俺も早くチーちゃんの結果知りたいし」
朋也は必要性を説くよりも、褒めておだてる方向にシフトチェンジした。
「うーんそうかなー、でもメンドイしなー」
もう一押しすれば了承しそうだ——朋也は手応えを感じた。
朋也の言葉も、少しは効果があったようだった。
いつも智佐の我が侭放題に振り回されているが、意外と自分の言葉も聞いてくれ
るんだな、と朋也は思った。
朋也はモヤイ像の前で智佐を待っていた。
既に待ち合わせの時間から10分過ぎているが、まだ来ない。
一応ひさしの下に立っているが、雨が好き放題差し込んでくるので、殆ど意味は
無かった。
膝下はベチャベチャだ。
朋也はもう一度智佐に電話をしてみる。
10回目のコールでようやく繋がった。
「やっと出たか……チーちゃん今、何処にいるの?」
「えへへ、先生の声だー、あははぁ」
「…………」
朋也が想定していた最悪の事態だった。
いや、曽我の作戦通りだからむしろ最高なのか——朋也は複雑な気持ちで続ける。
「もう10分待ってるんだよ。モヤイ像の前で、全く」
「お、先生ハッケーーン!」
通話口から智佐の元気な声が流れる。
朋也は携帯を耳にしたまま、辺りを見回す。
横断歩道の向こう側から、千鳥足で歩いてくる智佐を見つけた。
ちっ——思わず舌打ちして朋也は通話を切る。
「さっき先生、舌打ちしたでしょー!」
智佐は出会い端、ぷーっと頬を膨らませる。
「いや、何言ってるの、雨でしょ雨の音?」
朋也は誤魔化しながら、頭の中で整理する。
——今、一番大事なのはチーちゃんのお母さんを確かめることだ。
あとは終電までにちゃんと返すこと。
朋也は優先順位を確認しながら、とりあえず屋根のある東横線の構内に向かうこ
とにした。
木村が不満そうに言う。
「そうか? それはさておき、明日のチーちゃん対策だが……」
曽我は木村の言葉は軽く流し、話を進める。
「授業だって塾に呼び出すしかないんじゃないか?」
木村はお代わりを注文しながら言う。
「やっぱりそれがベストか……」
美味しくないと言いながらお代わりはするのか——曽我は内心でつっこみながら、
状況を整理する。
今回のターゲットは二名。
松ちゃんが両方とも何とかしてくれればいいのだが、もちろんそれは無理だろう。
よって俺ら——「チーム明日葉」が協力する訳だが、祥子さんと面識があるのは松
ちゃんだけ。
なので、必然的に俺らがチーちゃん担当となってしまった。
ちなみにチーちゃんには、自分とキムはバッチリ顔は割れているが、露ちゃんと
ザトは曜日が違うので知らないはずだ。
わざわざ休みの日にまで、何でチーちゃんと会わなければいけないのか——曽我は
詮方ない気持ちをビールで流し込んで言う。
「だとすると今度はどうやってチーちゃんに伝えるか……だな」
曽我が考えを巡らしていると、木村が誰かに電話をかけ始めた。
手には智佐の入塾書のコピーを持っている。
「おいっ、ちょっと待——」
慌てて止めようとする曽我を、木村は手で制す。
そして俺に任せとけ、と目で曽我に言った。
「……夜分失礼します。こちら個別指導塾の智佐を担当している曽我と申します
が。明日、中間テストの解説を行いたいので、智佐さんに塾に来ていただきたい
のですが?」
木村は左手で携帯を持って話しながら、右手で素早くキーボードを打って曽我に
訊ねる。
>何時からにする?
曽我はため息を付きながらも、
>3時
と打って木村に返した。
「……では3時からと言うことで宜しいでしょうか? あ、そうですか。では智佐
さんの携帯番号を教えていただけますでしょうか。はい、090の——」
再びキーボードを叩く。
「——1192ですね。ありがとうございました。それでは失礼します」
木村は電話を切ると、にやっと笑ってPCの画面を曽我に見せる。
「チーちゃんの携帯番号ゲット」
曽我は頭痛がした。
「あのなぁ……まー明日の授業を家の人に上手く伝えられたのはいいだろう。だけ
ど、チーちゃんの番号なんて、松ちゃんに聞けば一発で分かるんだし」
曽我はため息を付きながら言う。
あと、電話口で自分の名前をわざわざ出したのはどうかとも思ったが、それは置
いておくとして、それより重要な問題があった。
「女の人が出たんだろ? ……チーちゃんじゃなかったら、それが誰だって言うんだ」
得心がいかない顔をしていた木村も、ハッと表情が変わる。
「そうだよ。チーちゃんのお母さんの声を録音して、松ちゃんに聞かせれば、一
発で分かっただろうが、ったく……」
「むぅ……た、確かに……」
木村は無念そうに唸る。
塾には内緒でやっていることだし、他の用件を装ってもう一度電話をかけたら変
な不信感をもたれてしまう可能性もある。
「やっぱり明日、コレ使って調べるしかないよな?」
曽我は木村のPCをコツコツと叩いて、フッと笑った。
