三ヶ月後、電車を降りた私の足は、自然とフォームを駆け出していた。
風に吹かれて帽子が飛んでいってしまわないように。
私たちは、二人であの本の7番目の方法を実行中だった。
今日こそは彼より早く着こうと思ったのに、服を選ぶのが予想以上に難航して、気が付けばいつもと同じ時間になってしまっていた。
(それでも約束の時間より、まだ5分早いのだけれど)
いつもと同じ10時25分。
彼の顔を見ると、私は思わず笑みがこぼれてしまう。
その瞬間、その時間は私にとって永遠になる。
人の一生は短い。
宇宙の物差しで測れば、五十年も百年も1ミリにだって満たないだろう。
それならば悠久や永遠も、一瞬と同義。
夢なら、覚めないで欲しい。
けれど現実なら、たとえそれがほんの僅かな時間だって構わない。
その瞬間に全てを込める。
私の恋は一つの区切りを終えた。
それがいつか形を変えて、愛に変わっていったとしても、私の思いは続いていく。
過去、現在……そして未来。
私は恋している。
時をかけて彼に恋していく。
完
これから後のことは恥ずかしいし、ものすごくプライベートなこともあるので、割愛気味に話させて欲しい。
あの後、結果として電車事故は起こった。
しかし乗客はゼロ、電車とトラックの運転手も何故か外に放り出されているという、前代未聞の事故だった。
ワイドショーは暫くの間、その不思議な出来事を解明しようと躍起になっていたが、結局何の手がかりも得られず、数週間するとその話題も沈静化していった。
その秘密を知っているのは彼と私だけで、私がそれを知っているのを彼はきっと知らない。
彼は何も言ってこなかったので、私もそのことについては黙っていることにした。
その後、私は一回だけ自分の力を使った。
着いた時刻は10時13分。
そして過去に戻った時、少しだけ早く、あのメールを彼に送ってみようとした。
今なら言えそうな気がした。
私がずっと隠していた気持ちを。
未来できっと解き放った気持ちを。
けれどやっぱり思いとどまって、私は学校に向かう。
今日は9月12日。
いつもの彼のいない火曜日だ。
私は夢中で走る。
車もバスも電車も全てのものが止まっていた。
事故が起こった付近の駅までは、12駅分。
とても走れる体力は無かったので、自転車に乗って精一杯漕いでいく。
事故の起こったあの踏切へ。
愛する人の下へ。
きっとこの世界では、まだ彼に自分の思いさえ告げられていない。
振られてしまうのは分かっていた。
その後きっとまた後悔して、落ち込んで大泣きすることも分かっていた。
でも今、彼は未来を変えているのだ。
自分のでない、きっと大勢の人の未来を。
それならば私と彼の関係も、違った未来もあるのかもしれない。
別に無くても構わない。
いや、もちろんあった方が良いけれど、それよりも大事なものがあるはずだった。
途中道に迷ったり、車や踏み切りで塞がれいて、大いに迂回しなければ行けないところもあったので、着くまでに2時間近くかかってしまった。
喉はカラカラ、全身は汗でべちゃべちゃだった。
愛しい人は案の定そこに倒れていた。
2000人近くの人をたった一人で、そして最後の車掌をフォームまで運んだところで、彼は力尽きていた。
顔には満足そうな表情まで浮かべて。
私は全力で彼をフォームまで引き上げ、大きく息を付いた。
私には人一人持ち上げるので精一杯だったが、これだけで十分だった。
私の役目は終わった。
そして私の恋心は、永遠に封印されることになった。
こうして私の恋は終わった。
気が付くと火曜日の朝で、私はいつものように授業を受けていた。
彼のいない、それだけで少し色褪せて見えるいつもの授業風景。
今日、事故が起こるのは分かっている。
しかしもうどうすることも出来なかった。
時刻は10時30分、あと数十秒で事故は起こってしまうだろう。
もっと前に戻って、何とかそれを食い止めるという方法もあったかもしれない。
しかしどうやってそれを人に説明すればいいというのだろうか。
電車の運転手に言ったとしても、とても信じてもらえるとは思えない。
トラックの運転手に至っては、どうやって探し出せばいいのかも分からない。
ただ、それでも彼なら、決して諦めはしないことは分かっていた。
だからもう私は彼を信じることしか出来なかった。
私が時間を過去に戻す。
そして彼が時間を未来に移す。
反対のベクトルの力が合わされば、打ち消し合って何も起こらないのかもしれない。
いつも通りただ普通に、時間が流れていくだけなのかもしれない。
けれど唯一、奇跡を起こせるとしたら、もうこの方法しか思いつかなかった。
私は集中して、時間よ戻れと強く念じる。
目を開けた時には、世界の全てが静止していた。
彼の家に向かう途中で、美容院の前を通り過ぎる。
店の前には「臨時休業します」という貼り紙があった。
私の中の不安な気持ちは、更に色濃くなっていく。
彼の住んでいるマンションに着く。
エントランスを抜け、エレベーターを待っている途中で、私は外の違和感に気付いた。
慌てて駆け寄る。
彼はコンクリートに血を流して倒れていた。
それもかなり酷い状況で。
私は半狂乱になって大声で周囲に助けを求めた。
もう助からないと、薄々は分かっていながらも。
付近のマンションの住民が何事かと出て来る。
彼は震える手で、携帯の画面を私に見せてきた。
『9月14日木曜日、午後9時14分』
それは私が送ったことのない、しかし確かに私が送ったメールだった。
人が集まってくる。
一体何がどうなっているのだろう。
今日は水曜日。私が「未来に」送ったメールを、彼が「今」見せてきている。
そんなはずはない。
ありえる訳がない。
けれど私が書いて――そして結局遅れずに――私の携帯の送信フォルダに未送信のまま残っているメールと、一字一句として違わなかった。
悩みながら、何度も何度も書き直したメールだから、はっきりと文面は覚えている。
遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。
マンションの住人が集まりだしたので、私はその輪を抜けてエレベータに向かった。
迷わず一番上の32階のボタンを押す。
重い屋上のドアを開けると、風がボウと目に飛び込んできた。
足下のコンクリートは、靴越しにでも冷たいのが分かる。
私の中には何となく確信に近いものがあった。
彼は繊細で純粋な心を持っているが、決して安易に自死を選ぶような人ではない。
何か理由があるはずだ。
そしてあの「未来からきた」メール。
フェンスには、彼のものと思われる血痕があった。
もし彼の言うことを信じるのならば、彼は未来で私のメールを受信した後、何らかの方法で過去に戻ってきたのだろう。
何らかの方法とは、この血痕と今の彼の状態を見れば想像がついた。
おそらく強いショックを与えれば与えるほど、過去に戻れるということなのではないのだろうか。
しかし一度は成功したものの、彼の意図した過去には戻りきれず、瀕死の状況にいる。
そして「今」よりも、もう彼は過去に戻ることは出来ないだろう。
何故ならこれ以上の強い衝撃なんて存在しないだろうから。
彼は言った。
「時をかける少女」を読んで、自分にも出来ないかな、と思ってちょいとチャレンジしてみたら、案外簡単に出来たと。
私もその本は読んだ。
そして彼の力が足りないというのなら、他に誰の力を足すというのだろう。
冷たいフェンスに手を掛ける。
私は彼を信じた。
