朋也が時計を見て、店を出る準備をする。
「じゃあこの作戦で行くぞ。何とか明日二人が鉢合わせないように、俺らがチー
ちゃんを妨害して——」
「俺が祥子さん担当か」
祥子相手なら何とかなりそうだと思い、朋也は首肯する。
「また後でな。まずはとにかくチーちゃんから聞き出してくれ」
朋也は自信無さそうに頷いて、鞄を持って店を出る。
雨足は全く収まる気配を見せず、アスファルトを打つ雨粒は踝まで跳ね上がる。
朋也はますます憂鬱になって、智佐と待ち合わせのモヤイ像へと向かった。
がこの後、チーちゃんから聞き出せればいいけど」
「うーん、酔っているとはいえ、チーちゃんにお母さんの話は振りにくいな」
下手に刺激して、機嫌を損ねでもしたら最悪の事態になる。
「そうか。一応頑張ってもらうとして、保険も作っておくべきだな。明日の午前
中は祥子さんと会うんだったよな?」
「うん、10時に二子玉川で待ち合わせしている」
その後はタクシーで都内のホテルに移動。
それが月一の日曜デートのパターンだった。
「その時に、何とかして彼女の住所か自宅の番号を見つけ出さないとな。けど、
携帯はロックがかかってて、免許も無しか」
「あぁ。暗証番号は何パターンか試してみたけど、駄目だった」
「携帯のロックが解除できれば一発なのにな。4桁ってことは総当たりだと……
9999通りか?」
「いや0もあるから10000通りだ」
朋也は正確に訂正する。
「短い時間じゃ絶対無理だな……」
二人とも途方に暮れる。
「……携帯のロックなら簡単だ」
「「えっ?」」
曽我と朋也は同時に声の主を見る。
今度はどうせソリティアでもやってるんだろう……と思って、二人とも木村のこと
は放っといていた。
「『めもりーくん』っていうソフトがあってな。これを携帯につなげれば一発だ」
木村は無表情で淡々と言う。
「松ちゃんの携帯を貸してくれ」
朋也は言われた通りに携帯を渡す。
木村は携帯の充電口にコードを繋ぎ、もう一方をUSB挿入口に差し込む。
そしてソフトを起動した。
画面には「暗証番号自動検索中」と表示されている。
十数秒で検索結果が出る。
「ふん、『2222』か」
「早っ!?」
「すげぇ……合ってるよ」
朋也は驚ろきの声を上げる。
「2222じゃ暗証番号の意味無いだろ」
曽我が呆れたように言う。
「いや、意外に盲点かなと思って。ぞろ目じゃないと、一々押すの面倒くさいし」
そんなもんか、と曽我は首を傾げる。
「暗唱番号のセンスもどうかと思うが、ロック自体が駄目だな」
木村が渋い顔で言う。
「だけどロック掛けないと、着信とかメールとか筒抜けになるし」
あのチーちゃんならいつでも見かねないし——と朋也は思った。
「携帯にロックをかけている、それ自体が浮気を認めている事になるんだ」
「なるほど」
木村が言うと不思議な説得力がある。
やはりこの体格だからだろうか。
「ドコモなら『マルチナンバー』っていうのがあって、月額500円で発着信可
能な付加番号を2つまで増やせる」
「おーそれなら2台持つより、ずっと安いし手軽かもな」
曽我が感心したように言う。
「メールはYahoo!のメールアプリ使うのが一般的だろうな。いちいちアプリを起
動するのが面倒なら、振り分け機能を使って受信フォルダを分けることだ」
「な、なるほど……」
木村の思わぬ知識に、二人とも舌を巻く。
「あと、単純なことだが、キャッチフォン契約はしておくことだ。一方と長電話
していて、他方がずっと繋がらなかったら不審に思われる」
朋也はおおーっと感心する。
「こういうアウトローなことには、本当詳しいよな」
曽我はうんうんと頷きながら言う。
「あー俺もだいぶ道を外れてるかもしれないが、キムの非道っぷりにはいつも頭
が下がる」
朋也はそう言って、木村に手を合わせて拝んだ。
「おっ前ら……」
怒りで目を唇がぷるぷると震えている木村に、曽我と松本はケラケラ笑う。
「まぁーそれでだ。当然明日はこれ、松ちゃんに貸してくれるんだよな」
曽我は木村のノートパソコンをつついて言う。
「なっ……」
「暗証番号調べなきゃいけないだろ。まさか松ちゃんのデスクトップ持って行く
訳にはいかないだろう?」
「断る」
問答無用の感じで木村は目を逸らして言った。
「断るって、じゃあ他にどうやって——」
「絶対に断る」
断固として譲らない木村に、朋也は説得は難航しそうだと思った。
「チーちゃんからだ……」
朋也は着信画面を見て呟く。
「ここは出ておいた方がいい」
二人に促され、朋也は通話ボタンを押す。
「あ、もしもし。今、曽我先生たちとご飯食べてる。カラオケ? え、お酒飲ん
でるの……?」
朋也は露骨に嫌な顔をする。
彼はアルコールを摂取する女性が嫌いだった。
自分が下戸という理由もあったが、何より酒を飲んでハイテンションになった
り、羽目を外したりする女性を見るのが、嫌で仕方がなかった。
吐いたり人前で寝るなんて、もっての他である。
曽我が木村のPCを使って何かタイプしている。
クルリと回して画面を朋也に向ける。
>後で会う予定を入れろ
朋也は頷いて、通話する。
「チーちゃんの方は、あとどれくらいで終わるの? 三十分か。じゃあその後、
少しだけ会えない? うん、渋谷で」
また曽我が何かタイプしている。
>もっと飲ませろ
朋也は眉をしかめて首を振ったが、曽我は固く口をつぐんで促してくる。
朋也はやむなく従う。
「うん、そうだ。ようやくテスト終わったんだから、目一杯楽しんじゃいなよ?
そう、俺も飲んでるし。いや大丈夫だって、俺がいるし。それじゃあまた後で」
通話を終え、朋也は恨めしそうに曽我を睨んだ。
曽我は笑って言う。
「仕方ないだろ? これから聞き出さなきゃいけないんだから。目一杯酔っても
らおうぜ。さーてあと三十分。作戦を立てるぞ」
曽我はすっかりノリノリだった。
チーちゃんはもちろん、どうやら祥子さんも来るようだ。赤坂プリンスホテルに
6時らしい」
曽我の詳細な説明の中、木村は黙々とPCの画面を見続けていた。
一体何を見ているのだろうかと、朋也が横目で覗くと、何と木村はマインスイー
パーをしていた。
衝撃的びっくりである。
「……でさ、松ちゃんがどうすればいいのかって、これからみんなで考えて……って
キム、聞いてんのか?」
曽我は、死んだ魚のような目をしている木村に気付き、咎めるように言う。
——画面中央のニコちゃんマークの目が×印になった。
木村は一瞬、僅かに口元を歪めて、目線を上げる。
「……あー聞いてるよ」
「ん、じゃあ何かキムも良い考えはないか?」
曽我は意見を求める。
「無い。当然の報いだ。因果応報」
木村はあからさまに不機嫌そうな声で言った。
朋也としては言い返す言葉も無い。
「いや、まぁそうかもしれないけどさ。松ちゃんもこうしてすごく困ってるんだ
し、何とか協力してやろうぜ。チームとして、な?」
「…………」
木村は黙ったまま、いつものデフォルトの表情だった。
「上手く行ったら、松ちゃんがみんなに一杯おごってくれるらしいしさ?」
曽我が眉を上げて言う。
「あぁもちろん、一杯と言わず、がっちり奢るよ」
朋也も協力を求める。
「……………」
木村は相変わらず無言のままだった。
それでようやく口を開いたのは「酒など要らん。缶コーヒー」との言葉だった。
朋也は一ケース分を約束する。
「ふん、親子どんぶりとは……。全く人としてどうかと……」
木村は鼻を鳴らしてブツブツと言っていた。
確かに血は繋がらないものの、現時点で祥子と智佐が親子である可能性は高い。
朋也はベッドに裸で二人並んで自分といるシーンを想像して、ひどく頭が痛んだ。
木村は店員を呼び止め、注文をする。
「あーすみません、親子丼一つ」
「…………」
こういうところが空気が読めないとか、情が無いとか周りからは言われるのだ
が、何とも木村らしくて、朋也は苦笑いをするのであった。
その男は巨体を揺らしてやってきた。
雨はいつの間にか本降りになっていたのだろう。
男の全身はぐっしょり濡れて光っていた。
右手には彼の好物である缶コーヒーが握られている。
「おう、キムこっちだ」
店の入り口にいた彼を、奥のテーブルから曽我が呼ぶ。
「お疲れさん」
「おう、お疲れ」
木村は濡れたコートを椅子に掛け、朋也の隣に座る。
「随分遅かったな?」
曽我の言葉に、木村はムッとした表情で答える。
「これのせいだろ? 曽我くんが持って来いって言ったんじゃないか……」
木村はバッグから紙を出して、機嫌の悪そうな声を出した。
「あー悪い悪い。入塾書のコピーだな」
曽我はまぁまぁとなだめながら、その紙を受け取る。
「全く、社員の目を盗んで持ってくるのは大変だったんだからな。一体、何で俺
がこんなことを……」
まだ木村は不満そうだった。
曽我はコピーを読み上げる。
「『蔵田万蔵』? ん、これはチーちゃんのお父さんの名前か……?」
「す、すごい名前だな……」
朋也は曽我が智佐の父親の印象を「熊」と言ったのを思い出した。
何となく名前とイメージは合っている気がした。
「で、チーちゃんの住所は……あった、目黒区田園調布、二の二十二の××」
「やっぱりそうか……!」
朋也は頭を抱える。
すでに覚悟していたことだったが、実際にはっきり示されると、予想以上にズシ
ンときた。
「場所を正確に確かめておきたいところだな。地図があれば良いんだが」
曽我は携帯を手に目を細めて言う。
携帯の地図では、小さすぎてよく分からないらしい。
「……地図? あるよ」
木村が仏頂面で言う。
ちなみに別に機嫌が悪いのではなく、彼のデフォルトの表情だ。
塾では、生徒たちからは「北村弁護士」と呼ばれている。
木村はバッグからノートパソコンを取り出し、起動させた。
「おーすごいなー、バイオの新しいヤツじゃん」
朋也は感心した声を出す。
木村は自慢のPCにPHSを接続し、ブラウザソフトを起動する。
「田園調布二丁目だったよな……ほら出てきた」
表示された地図を見て、朋也は顔をしかめて言う。
「あーこれだ。やっぱり近くに中央病院あるし。学校が固まってあったのは、調
布高と中学か……」
苦虫を噛み潰したような表情になる。
「チーちゃんは東洋英和だったよな。なるほど……だからニコタマか」
曽我が頷いて言う。
「どういうこと?」
「英和ってことは、田園調布から東横線と地下鉄だろ? 不倫してることは、も
ちろん娘には知られる訳にはいかない。だから、万一にも会わないような場所を
選んだんだ」
「それで田園都市線の二子玉川ってことか」
「ニコタマはマダム御用達の街だしな。お洒落で閑静だからデートにも良いだろ
うが、毎日渋谷や自由が丘を通る女子高生が、わざわざ行くような場所ではない」
「……成る程な」
朋也は祥子が意外と考えて行動していたらしきことに、少し驚きを覚えた。
初めてデートした時は確か、彼女のお気に入りのカフェがあるということで、二
子玉川に行くことになったのだった。
今思えば、そんなの田園調布にしろ、隣の自由が丘にしろ、幾らでもあるはず
だった。
「これで十中八九、二人は親子って考えていいだろうな」
「あー考えたくはないが、仕方ない」
朋也は大きくため息を付く。
二人の深刻な表情を見て、しばらく無言だった木村が怪訝そうな目で訊ねる。
「それで一体……お前らさっきから何の話をしてるんだ?」
曽我と松本は顔を見合わせる。
「「……えっ?」」
そして同時にきょとんとした声を上げる。
「…………」
木村は相変わらず仏頂面だった。
そこで今更ながら、木村には全く事情を話してなかったのを、二人は思い出すに
至ったのであった。
